be動詞と僕らの意外な関係?

「be」 という単語の語源はサンスクリット語(古代インドなどで話されていた言葉)と言われていますね。 その辺りでは哲学や仏教が盛んだった時期もあると聞きます。 (ここからは英語視点からの推測なので話半分で読んでくださいね。)

 

さて、英語では感情の多くを、 be動詞 + ~ed で表しますね。
I am interested. / I am excited/ I am surprised./ I am tired./ I am satisfied./ I am moved. まだまだあります。 


興味深いのは全て受動態(受け身)になっていることです。 まるで僕らの感情は、自主的に起こるのではなく、そういう気分にさせられているだけだと言っているようです。 ふむ。 …では試しに想像してみましょうか。 僕らが見る対象も、知るはずの対象も全て無くなったらどうでしょう。 、、おそらく何も感情は抱かないでしょうね。 抱くべきその主体が無いのだから。 でもそんな空しいことでは困るし自分は確かに自分の意思で物事を決めているはずですよね。 そうでしょう!みなさん!w  ただ、問題はそう考えるには僕たちは一つの過程を経なければならないんですよね。

    
I was born. という典型的な受け身の過程を。  今気づいたんだけど、上の全ての英文から「I」を取ると全くネガティブな感情が起きない。 ただ景色が浮かんでくるみたいだ。ブッダのとなえた、「苦の消滅」は、 主語の消滅や、概念的構造の崩壊に近いものだったのかなあ。 (仏教徒の方いい加減な推測、ごめんなさい。)

 

とまあ、たまには気になった単語をたどるのも楽しいよ的な回でした。 

グダグダでしたが。w